染織あれこれ(56)
藍玉製造農家の番付
「紺屋(こうや)」 《に》

●文久2年(1862)発行の番付
渋沢栄一記念館 深谷市下手計 15/5/7

 良縁戴き、5月、6月と埼玉県深谷市へ伺った。

 社会福祉法人・深高会さん、深谷保育園"創立50周年"『記念園旗』の打ち合わせだ。

 「深谷ネギ」で知られる深谷だが、日本近代経済社会の基礎を築いた渋沢栄一翁「生誕の地」でもある。

 帰路、翁ゆかりの史跡を訪ねた。生家をはじめ青淵記念館、渋沢栄一記念館などだが、記念館で、私ども紺屋(こうや=染物屋の総称)に縁深いものに出会った。

 【藍玉製造農家番付】。複製だが木箱に入った「藍玉」と一緒の展示品。

 当時の「藍玉製造農家分布図」も記され、文久2年(1862)との解説。翁の家は農業、養蚕のほかに藍玉の製造とある。

 つるや伊藤創業は安政元年(1854)と伝わる。時代が重なり、感慨が深い。

 【勧進・藍玉力競(ちからくらべ)】とあるが、大関、関脇、小結、前頭と番付基準はどこにあったのか。作付面積か、生産量か、品質か、他にも要素があったのだろうか。

 「藍玉」は紺染め染料の原料。藍は蓼(タデ)科の一年草。収穫、乾燥した葉を「葉藍」と呼びこれを「寝床」に堆積。水をかけては繰り返し撹拌、発酵させて「スクモ」をつくる。

 スクモを練り固めたものが藍玉で、玉にする事で運搬や保存がしやすくなる。日本の「天然藍」は埼玉の「武州藍」、徳島の「阿波藍」が有名。

 つるや伊藤では戦前までは自家製スクモも使っていた。藍作は明治中期頃までは、北海道から鹿児島まで、日本全国で行っている。船橋にも栽培農家があったのだろう。

 翁は14歳の時一人で買付、上質の葉をシッカリした目利き交渉で安く仕入れたとある。後年、料理屋での「感謝の集い」では栽培優秀者を上席に着けて顕彰、ご褒美。"成績競争"をさせたともいう。

 つるや伊藤は来年、創業150周年。渋沢栄一翁の偉業に触れ、「藍玉番付」に社業の原点への思いを寄せた。

 武州・深谷との"良縁"を一層大事にしたい。

(つるや伊藤・伊藤吉之助)

船橋市民新聞 2003年 7/20発行 第56号